京都一周トレイル 東山コース ⑥将軍塚の歴史

泉涌寺の次は将軍塚

桓武天皇と深い関わりのある場所で有名です

⑥将軍塚(しょうぐんづか – Syogundsuka)

将軍塚(しょうぐんづか)は、京都市東山区に位置し、古くから京都の守護とされる場所です。この塚は、平安時代初期、桓武天皇が平安京遷都の際に築いたと伝えられ、京都の歴史や文化と深い関わりを持っています。以下に将軍塚の歴史について詳しく説明します。

創建と桓武天皇の伝説

将軍塚が造られたのは、平安京への遷都が決定された延暦13年(794年)とされています。伝説によると、桓武天皇は平安京の守護を祈願してこの地に「将軍の像」を埋めたとされ、その上に大きな塚が築かれました。この「将軍像」は平安京を護る霊的な存在とされ、将軍塚は京都の鬼門を封じる重要な場所と見なされました。

将軍塚の役割

将軍塚は、京都の都を守護する要所として長い間信仰を集めてきました。特に武士や武将たちにとっては、戦勝祈願や守護神として崇敬されており、歴史上のさまざまな出来事の際に参拝が行われたと伝えられています。また、将軍塚からの眺望は、京都の町並みを一望できる場所であり、平安京がどのように配置されたかを理解する上でも貴重な場所とされています。

江戸時代から明治時代

江戸時代には、将軍塚は京都の名所として多くの人々に知られていました。この時期には塚が修復されたり、参拝が行われたりしましたが、時代の移り変わりとともに次第に注目が薄れました。しかし、明治時代になると、再び将軍塚の歴史的価値が見直されるようになります。

現代と青龍殿

1970年代には、将軍塚周辺が公園として整備され、市民や観光客に親しまれる場所となりました。そして、1980年代には、将軍塚の隣に「青龍殿(せいりゅうでん)」という大きな建物が建設されました。青龍殿は、東寺にあった「国宝 青不動明王(しょうふどうみょうおう)」を模した像が祀られており、多くの参拝者や観光客が訪れます。

また、将軍塚には展望台も設けられており、京都市内を一望できるスポットとして人気を集めています。特に夜景が美しく、地元の人々や観光客からも愛されています。

まとめ

将軍塚は、平安京の守護とされる歴史的な場所であり、桓武天皇の遷都にまつわる伝説が伝えられています。現代では、青龍殿と共に京都の歴史や文化を体験できる名所として知られ、多くの人々が訪れる場所となっています。

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