乃木神社を後にして、登山口からしばらく登ると「豊臣秀吉が愛した城」を見る事ができます。
③伏見桃山城(ふしみももやまじょう – Fushimi momoyama castle)
桃山城(京都桃山城)は、安土桃山時代を代表する城で、豊臣秀吉によって1594年に京都の伏見に建てられました。伏見城とも呼ばれ、この城の存在がきっかけで「桃山文化」と称される華やかな芸術文化が生まれました。以下に桃山城の歴史をまとめます。
築城の目的
豊臣秀吉が桃山城を築いた目的は、将軍や高位の武士を招いての迎賓館としての役割や、天下統一後の隠居場所としてでした。また、政治拠点としての意味合いもあり、武家や朝廷、各地の大名たちをまとめるための場としても利用されました。
壮麗な建築と桃山文化の象徴
桃山城は、金箔や鮮やかな色彩、豪華な装飾が施された「桃山様式」を持ち、当時としてはきわめて華麗な城でした。伏見の地には堀や庭園が整備され、特に茶の湯や雅な文化を重んじる秀吉の趣味が色濃く反映されたといわれています。こうした文化は「桃山文化」として発展し、日本の芸術や建築の歴史に大きな影響を与えました。
地震による崩壊と再建
1596年の慶長伏見地震で、桃山城は大きな被害を受け、主要な建物が倒壊しました。その後、秀吉は復興を進めましたが、1600年に関ヶ原の戦いで豊臣政権が衰退すると、徳川家康が再建を進め、城は再び完成しました。
廃城と遺構の移築
徳川家康が江戸幕府を開いた後、1623年に桃山城は廃城となり、多くの建物や資材は二条城や大坂城など他の城に移築されました。現在では、伏見城の遺構はほとんど残っていませんが、石垣や一部の門などが見つかることがあります。
現代の桃山城(模擬天守)
現在、京都府伏見区にある桃山城は、1964年に観光施設として再建された模擬天守です。オリジナルの構造や規模を再現してはいませんが、豊臣秀吉が築いた桃山文化の象徴としての雰囲気を伝えるために建てられました。
桃山城の歴史的意義
桃山城は、安土桃山時代の終焉と、江戸時代の幕開けを象徴する場所であり、豊臣秀吉の権力を象徴する華やかな文化遺産でもあります。
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